第9回 「食」は運命を左右する

 何とも魅惑的な言葉ではありませんか。「食」が健康を左右するというのならまだしも「食」が運命を変える!というのですから。「食べ方で運が開けるのなら、一ちょやってみよか!」 という気分になってしまいます。
これを唱えた人は、江戸時代の観相師、水野南北(1757生まれ。享年78歳)です。

 私がこの人の存在を知ったのは、2010年7月2日付け朝日新聞のコラム「天声人語」からです。「唾液の成分から癌を見つける技術が生まれた」という趣旨の中で、この水野南北のことを引いており、簡潔に伝えておりました。そこにもありましたが、「だまってすわれば」(神坂次郎著、新潮社)は、彼の伝記小説で、彼の生涯が生き生きと描かれております。

 [水野南北の半生] 5歳の頃に両親を失くした彼は、鍛冶屋をしていた叔父に引き取られ、鍵屋錠前つくりを叩き込まれる。10歳の時に 酒の味を覚えそれが彼の人生を狂わせる。仲間と恐喝や強盗などを 働き、18歳の頃、あくどい示談屋などで荒稼ぎをし、入牢となる。 しかし、この時、牢内の囚人の人相と娑婆の人々の人相との間に 明らかな違いに気づき、観相に興味を持つことになる。 

 出獄後、ある易者に自分の相を観てもらったところ、剣難の相が出ており、寿命残り1年を宣告される。愕然とした南北は、助かる道を請う。 回避する唯一の方法は出家であると告げられる。
弟子入りを求め、あちこちの寺を訪れるが、粗野な態度やその悪相から全て断られる。 そうした中で、ある禅寺の住職は、断るつもりで、向こう1年間、麦と大豆だけの食事を続けてきたら入門させようと約束する。
 彼は命惜しさの一念で港湾労働者をしながら、麦と大豆を常食とする生活を実践した。こうして1年後、禅寺を訪れる前に件の易者に会ったところ、「剣難の相が消えている。何か大きな功徳を積んだに違いない。」と驚かれる。 そこで、食生活を変えた経緯を話すと、「それが陰徳を積み、相まで変えたのだ。」と言われる。 こうして禅寺に行くより自分も観相家を志そうと決意し、諸国遍歴の旅に出た。南北21歳の時である。

 この先、観相師として修行を積むことになるが、その探究心たるや尋常でなく、人間の、顔のみならず、調査範囲は体全体に及ぶことになる。そのため、髪結い床の弟子、風呂屋の手伝い、さらには、火葬場の作業員となって死体の骨格まで調べ上げる徹底ぶりであった。 南北の相法はあくまで実証主義に基き、膨大な情報量を基にその精度を増していった。そうして観相師としての地位を確立する頃、 彼の理論を、その著書、「南北相法」〔天明8年(1788年)〕(前編、全5冊)にまとめ上げた(南北32歳)。的確な診断をするために、人間の体とその性質、 また、運命との関係についてどれほど丹念に調査、研究を重ねたかがわかる1冊である。  
*現代語訳には、前編を刊行してから14年を経て、享和2年(1802年)に 完成した後編5冊も編集されている。

 さらに彼は相法の奥秘を極めんと、弟子を連れて旅に出る。幾多の出会い、経験を積みながら、相法に磨きをかけ、運命理論をより確かなものにしていく。
ある時〔文化9年(1812年)〕、伊勢神宮への参拝を思い立つ。参宮し、天照皇大神を眼前にした南北は、五十鈴川の清流で禊(みそぎ)をし、食を断ち、水垢離(みずごり)をとる21日の荒行に入る。南北は悟る。完全無欠の相法は「食」にあったと。 人の運命は「食」に左右されていると確信するのである。 こうして南北は、運命鑑定法を、「慎食」という基盤の下に、実践哲学として結実させた。

 南北は人の「運命」というものを徹底的に追求しました。20年、30年の歳月を経て鑑定法を確立するものの、どれほど丹念に人の顔や身体を観察しても、その人の運命を完全に推し量ることはできませんでした。 しかし、そこに「食歴」*という時間の縦糸を通すことによって、彼の編み続けてきた「運命の法則」は寸分の狂いも生じない一反に仕上がり、彼の相法は完成を見ました。  彼の残した功績は、「的中を誇らず、人を救う」を旨としたことにあります。 人間の運命は食事の取り方によって左右される。だから、運を開きたいなら食事を改めなさい。運命は自分の意思で変えられると言うのです。 彼の著書には、それらのことが倫理観をもってわかりやすく説かれています。(「相法極意修身録」)

 彼の「食」に対する考えの根幹をなすものは、「慎食」の思想です。 粗食で、食量を一定にし、規則正しく食事をとれば、心身健全で運も開けると いう考え方です。詳細は、「食は運命を左右する」(たまいらぼ出版)に委ねますが、 その考え方は現代のマクロビオティックに近いものがあります。と言っても南北の方が先ですが。 石塚左玄氏や桜沢如一氏らは、きっと彼の考え方を学んだと思います。

 南北の理論の中で非常に興味深い考え方があります。彼によると、人は一生のうちで食べられる量 には限りがあるというのです。ここで思い出されたのは、新谷弘実氏の著書にもある、酵素栄養学の第一人者 エドワード・ハウエル博士の言葉「一生の間で人間の体内で作られる酵素の総量は決まっている」と いう考え方です。これが事実だとすれば当然食事の量も制限されるでしょうし、南北の言ってることと 整合します。南北の感覚はなかなか鋭いですね。

 現代は飽食の時代と言われながら、今もなお美味しいものが次から次に創り出されています。 華やかな食文化の一方で、生活習慣病、介護の問題など、健康に関する社会問題は縮小する 気配はありません。美味しい思いと引き換えに、失っているものも小さくありません。
「『食』を制する者は『人生』を制す!」ってなところでしょうか。
江戸時代ならともかく、このご時世で「食」に慎み深くあるということは大変難儀なことです。
さて、私も来週、1週間だけでも頑張って「慎食」してみましょうか。 あっ!残念。週末飲み事が入っている。

*「食歴」という言葉は、それまでどのような食事をしてきたかということ ですが、最近、食養研究家の若杉友子さんなど、マクロビオティックにかかわる 方たちの間でよく聞きます。

第1回 日本人とお米
第2回 五味調和をテーブルに!簡単!美味しい!山本式調理法
第3回 マクロビオティックを再認識!
第4回 “「ご飯は太る」は嘘”だそうです!
第5回 「PFCバランス」と「日本型食生活」
第6回 カロリーにこだわる!
第7回 ファーストフードの裏側
第8回 精米の原点「水車」を訪ねて
第9回 「食」は運命を左右する
トップへ戻る